最近斎藤一人さんの本にハマっています。
考え方が斬新というか普通に生きていれば忘れてしまうような、他の人に流されてしまうような
そんなことを平然と続けていたら成功していた…。
そんなように感じました。
手にとった理由
現状職場で周りとあまりにもレベルが違いすぎると思い、やめたいなと思うことがある。
しかし、「自分で決めた道だから」とか「せっかく給料が上がったんだ」とか「自分でもそのうち慣れてきてきっとできると思う」という感情と「どんな未来が待ち受けているのかわからない」と不安に押しつぶされそうになるのとの感情が行ったり来たりです。
ただでさえ未知の世界ですから頭で考えすぎて、疲れてしまいます。
気づき
愛想がいいと周りによく言われていたので営業職についたが、確かに愛想は振りまくが
関わりすぎると疲れてしまう…。
特に社会人になってからは自分の会いたい人としか会ってこなかったため
余計に疲弊してしまう。
嫌だなぁと思うことをいつまでも続けていられるほど人生は長くない。
また逆もしかり?
どうせだったら自分に我慢させずに生きたい。
人生の損切りという表現は乱暴かも知れないが、合わないということも視野にまずは入れることとする。
ハイライト
でも考えてごらん。我慢したって幸せにはなれないんです。だって我慢しているかぎり、ずっと苦しみが続くから。苦しみと幸せは、真逆のことだよね。
まわりの「よかったね!」が逃げ道をふさぐ
時間が経つといろんなことが見えてきて、自分には合わないとわかるときもある。だけどたいていの人は、そこで我慢しちゃうんだよね。まわりがあんなに喜んでくれたのに、簡単にやめちゃったらみんなにガッカリさせてしまう……って。
嫌なことを続けても「嫌」が際立つだけ
嫌なことって、我慢すればするほど、ますます嫌になるだけなの。こんなことをしても無駄だ、これは間違っている……っていうように、ネガティブな要素ばかり目につく。とにかく「嫌」が際立つんだよね。
嫌だとわかることは大事な学び
なぜかというと、嫌なことをしているかぎり、あなたはずっと「嫌だなぁ」っていう波動を出し続けることになるから。ネガティブな波動は、必ずネガティブな現実を引き寄せるんです。
あなたが不幸なのは「ダメづけ波動」を出しているから
嫌なことをやめたら、間違いなく幸せになります。じゃあ、どうして私は嫌なことをやめたのに幸せになれないんですかって、「少しくらい嫌でも、それが辛抱できないようじゃダメだよね」「あぁ、また長続きしなかった……」みたいなダメづけが、あなたの中にあるからじゃないかな。
嫌なことをやめるときは、スカッと思い切りよくやめること。やめるときに、気持ちがどこに向いているかが重要なの。「あぁ、よかった。もうつらい思いをしなくて済む」「やめたって何とかなる」「大丈夫、楽しい人生が待っている」「この瞬間から、もっとよくなる」そういう思いで、いい波動を出している人には、いいことしか起きないから。ウソじゃないよ、本当なんだ。